コンピュータ将棋は強くなれるか |
- 50: 名前:旅人投稿日:2003/07/10(木) 16:42
- 1.コンピュータ将棋のことをどれだけ知っているのか?
プログラミングのことは全く知らない。複雑な手順をどうやって実現しているのかさっぱりわからない
パソコンを使い始めてから(10年以上)パソコンにバンドルされているソフトを暇つぶしに試してきた。(マシンは大体最高レベルでも格安でもなく売れ筋商品)。購入したのは64のみ。
最近(この半年)はいくつかフリーソフトをダウンロードして試した。今はうさぴょうん、K-Shogiしか残していない。が、それ以外にもSpear、磯部、関田とか他にもいくつか試したが前者に比べ魅力を感じないので削除した。今期の将棋大会の棋譜を見た。決勝も全部ではない。予選も気になるソフトは見てみた。過去の大会の棋譜もいくつか見てみた。
いくつかのサイトを見てみた(白砂さんのサイトも含む。2チャンネルは含まない、嘘)。棋譜を見るのも、サイトを見るのもスキャン程度。
2.駒落ちでコンピュータを評価しつづけるのはなぜか? まず強いか弱いかの判断がある。自分より弱い。で、どの程度弱いかに使っているだけ。みんな私の棋力を知らないから全然段位を挙げても意味はないでしょうが。
駒落ちを含めて評価関数は同じと思っている。駒落ちの欠点をついたといえ、駒落ち上手の感覚は平手でもできる。中終盤角がどこにあるかとかもう関係ないでしょう。序盤、相手の駒を働かせないこと、自分の駒を充分に働かせること。駒落ち、平手に関係ないでしょう。勿論、大駒を持ち合うのと片方にしかないのでは、大駒の重みは違ってくるでしょうが。
3.将棋倶楽部24のRよりも道場の段級を重んじているのはなぜか? 誤解。道場の段級を重んじてはいない。道場の段級が道場によって全然違うことは知っている。その点全国統一のネットの段級がましであろう。私の主張している段位はもっとシンプルに県代表レベルが4段です。県代表になれなくなったら元4段です。棋力は、棋譜で判断しろと言っています。棋譜では判断できない部分があることも言っていますが。
私が最低の手で判断すべきと言っているのは、最終盤でプロ顔負けの手を指していても、5級レベルの悪手を指すのであれば5級レベルの人でも勝てるという意味です。大学時代、友人がソフトとやっていて、友人の棋力は凄く低くて始めは全然歯が立たなかったのだが、どこで形勢がおかしくなったか、不利になったか判るので勝てたし。プロでも1手詰みを見落としますが、だから9級という極論でなく、5級レベルの手を頻発している。だから5級でも勝てるという意味です。
大学受験生の学力レベルを全国一律のセンター試験のマークシートで判断するより、2次試験だけでみた方がまし。小論文とかだと主観が入って客観的な判断ができないじゃないかの危惧があるかも知れなくても。京大の入学試験をセンター試験の結果だけでやられていたら、小生泣いている。
昔の県代表レベルと最近の県代表レベルは最近の方が高いという考えもあるかも知れないが、本質的に強くなっていると思わない。知っている定跡が増えてもそれを私は高く評価しない。
私が問題視しているのは、宣伝に出る○○段というもの。世間では妥当と思っているのか。今はがっかりする人が減ったのかも知れないが、甘すぎと感じる人が多いのではないか。
でも4段でも4級でも大した問題ではない。最新版を実際自分が購入して試してみたわけではないが、強さを求めて購入したい気分にはならない。最新のソフトとやることに興味がないわけではない。そこまで投資する気になれないだけ。
サイトに将棋のことを公開しているのは、暇つぶしにぱっと指して、今まではそれを保存してたまに見返すレベルだったのを公開したに過ぎない。どれだけの人が自分の将棋のサイトを見ているかとか全然興味がないから、カウントも取っていないし、分析もしていない。声優のサイトのほうに力を入れていて、将棋は単なる余興。声優の方は全然更新しなくなり、チェックもしなくなったが。
今期大会の棋譜を見たときの失望感は大きかった。
私は定跡はあまり知らないし、ソフトはそれを教えてくれるだろうし、自分はまず読まない読み筋を指摘し(それを自分で使えるか、使えないか判断できる)てくれるので、購入したらそれなりには楽しめると思っている。
終盤の詰みとか、余詰めの有無とか自分では虱潰しにやるのは疲れる。2九桂にはどう攻めるのかと聞かれましたが、詰みが見えているならまだしも、相手からの攻めや受けもゴチャゴチャあり、全部読む気にならなかった。有力そうな相手の手を指してくれるなら、半分考えるだけで済む。そういう点で利用価値はあると思っている。
行間を読まずに誤解しているのを怒らなくてよいのでは。
今は実装しているソフトの話でしょう。詰みがプロ並、プロ以上と言われても実装しているものが違ったら話しにならない。詰み、詰めろ、必死に特化して解くことができても、もっと瞬時に解けないと、そのプログラムを作動すべきかどうかわからない。メモリを上手く使えば時間を大幅に節約できるかも知れないが、終盤(いつ終盤かも判らないが)常に詰めろや詰みのプログラムをまわしていたら時間がかかる。 白砂さんの考えでは、かなり複雑な詰みや必死が解け、時間短縮は目に見えているからそれらを実装し、使えるレベルにするのに楽観的なのでしょうが。
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