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  「利かされ」とは何か

01: 名前:パパイヤ投稿日:2002/08/16(金) 16:18
かつて将棋タウンの質問掲示板に「利かし」「利かされ」という言葉の意味について質問し、そこで色々と質疑を重ねたことがあるのですが、ここで管理人様のご見解をお聞かせいただきたいと思い、投稿させていただきました。
中終盤の「利かし」については感覚的にある程度理解できるのですが、その対語としての「利かされ」に関しては、その意味するところは単純な反対語ではなく、もっと広義な、かなりデリケートな意味合いがあるのではないかと、小生常々感じております。
特に、序中盤の広範囲にわたって「利かされ」というフレーズがプロの感想戦などでは頻繁にでてまいります。序盤のフォーメーションや彼我の対峙(陣形争い等)でも、プロは非常にこの「利かされ」という形にナーバスに反応するんじゃないでしょうか。
この「利かされ」というプロの感覚は、はたしてどのような<駒模様>を指して「利かされ」と称しているのでしょうか…?
管理人様のご解釈(推測でも結構です)をぜひともご教示いただければ幸いであります。

02: 名前:白砂 青松投稿日:2002/08/16(金) 16:18
 うーん、またまた難しい話ですねぇ……(笑)
 白砂も感想戦なんかでよく使う言葉なんてすが、「利かし」の反対語が「利かされ」になるのかというと、確かに100%対にはならないと思います。

 さて、問題の「利かされ」なんですが、これには「目や読みで判るもの」と「そうでないもの」の2種類があると思われます。大げさに言うと、この2種類があるが故に、「利かし」「利かされ」は100%対にはならないわけです。

 最初の方は単純な話、相手が利かしてきたものに対して「利かされ」るものであり、歩を謝る、手損に甘んじる、通常の駒組みでない形を強いられるなどのことです。これは目で見てはっきり判りますし、読みを入れることによって確認することも可能です。

 問題なのはそうではない、言ってしまうと「言いなりになる手順」のことではないかと思います。
 特に中盤にあることですが、相手の攻めに対して絶対の受け手順が続くという場合がそれです。飛車を回られた、歩を打つ一手。角がのぞいた、銀を上がる。そこで桂馬を跳ねてくる……それで<仮に受けきっていたとしても>、それは「利かされ」だとして避けたりするわけです。
 それは「相手の読みの範疇=相手の攻めが続いてしまう」と考えるわけですね。
 ある意味相手を信用しているわけですが、特に手筋の攻めなんていう場合は一本道で、読み違えもないものです。そんな手を相手に指されてしまうと決められてしまう<かもしれない>。この、「よく判んないけどやばそう(笑)」という感覚が、もう一つの意味での「利かされ」なのではないでしょうか。

 そして多くの場合、プロが言う「利かされ」はこちらの意味になります。プロともあろう者がそうそう目で判る利かしを喰らうはずもなく、むしろ、互いの読みあいの中で「あ、こう指していくとこうなってああなって……この展開は<利かされ>だな」と考えるんだと思います。
 つまり、強くなればなるほどこの種の「利かされ」が目に付き、そしてまた嫌うのだと思います。

 非常に個人的な考えなんでこれがスタンダードなものか判りませんが(笑)、白砂はこんな風に「利かし」「利かされ」を考えています。
 そして実戦でも、少しでも相手に厭な思いをさせるために「利かすこと」を考え、相手にいい思いをさせないように「利かされないこと」を考えます。まさに「棋は対話」というやつですが、果たして本当にこの言葉の意図しているものかどうかは判りません(笑)。

03: 名前:パパイヤ投稿日:2002/08/16(金) 16:19
懇切丁寧なご回答をいただき、ありがとうございます。
非常に感覚的なものを言葉で説明することは、たいへん難しいと思いますが、白砂さんの云われている「感じ」は小生にもかなり共感する部分があり、改めて敬服いたしました。
余談ですが、貴方の棋書紹介のなかで、形勢判断の要素の一つ「駒の働き」というものに関して、「何をもって働いているかというのを判断するのが形勢判断の1つだと白砂は思う」というものがありましたが、小生まことにもって同感の念をいだき、我が意を得たりの感を深くしたものであります。
今回の「利かされ」についての考察も、その深い慧眼に恐れ入った次第であります。
プロの将棋をみていると、「棋は対話」じゃないですが、「(一)手の交換」価値というものを大きな尺度にしているのではないか、という気がいたします。相手の指し手に対する当方の指し手の価値がどうなのか…、という部分に大きなウェイトを置いているのではないか、と。相手の手に対するこちらの応手に相応の価値があるのか、どうか。相応の価値が無いにもかかわらず、敵の手にレスポンスすることが、ひとつの「利かされ」というような…。そんな気もしています。

04: 名前:白砂 青松投稿日:2002/08/16(金) 16:19
 こんなに誉めてもらってなんだか恐縮しちゃいます(笑)。

 さて、

> プロの将棋をみていると、「棋は対話」じゃないですが、「(一)手の交換」価値というものを大きな尺度にしているのではないか、という気がいたします。相手の指し手に対する当方の指し手の価値がどうなのか…、という部分に大きなウェイトを置いているのではないか、と。相手の手に対するこちらの応手に相応の価値があるのか、どうか。相応の価値が無いにもかかわらず、敵の手にレスポンスすることが、ひとつの「利かされ」というような…。そんな気もしています。

 そうですね。その通りだと思います。
 白砂はいわば「意地」の面での考察をしましたが(笑)、この

   彼我の一手の価値の違い

 というものをプロは重んじるんでしょうね。言われて「あぁ、なるほど」と思っちゃいました。
 自分の中で読みが構築できてそれが通るか通らないか、とう話じゃなくて、それこそ陣取り合戦みたいに、相手との兼ね合いでどっちが得するかというのを考えるんですね。
 その結果、仮に自分の意地が通ったとしても、それ以上に向こうにやられてしまう。そういう状態も1つの「利かされ」なのかもしれませんね。「手」という概念からは随分遠くなっちゃいますけど。

 そういう考え方で将棋を指すのも強くなるコツなのかもしれないですね。白砂は「自分の意地が通ればよし」な方ですから(笑)。

05: 名前:あぼーん投稿日:あぼーん
あぼーん

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