私のパソコン遍歴

〜 白砂、ゲームにハマる 〜

 白砂が図書委員であることは前に言ったと思うんですが(委員だ、とは言ってなかったかな?)、その図書委員会でよく別の学校とも会合が行われました。
 こういう時に黙ってじっとしている……というごく簡単なことが白砂にはできなくて(<今笑ったヤツぶっころ〜す)、白砂率いる(率いてない率いてない)綾瀬高校図書委員会は県央各市の学校に恥を晒すことになってしまいました。

 で、そこでのこと。
 全くの偶然なんですが、岡部さんの知り合いという人に出会いました。
 近藤くん
といい、白砂と同い年でした。
 これがまた筋金入りのマイコンマニアで、というかもうオタクといってもいいのかな(笑)。所有PCはNECのPC-8801のなんか(爆)だったんですが、ゲームソフトが部屋いっぱいにたーんとありました。
 近藤くんはマイコンをゲームのできる箱と考えているようで、プログラミングそのものには興味がないようでした。しかし、ことゲームに関してはシューティングからAVG、RPG、ARPG、SLGに至るまで実に幅広くプレイしていました。白砂にとっては未知の世界です。
 彼とはどういうわけか気があって、随分と家に遊びに行きました。向こうもだんだんと慣れてきたらしくて、家に呼んどいて自分はいなくて、家人の勧めで仕方なく部屋で待っていると電話がかかってきて「ゴメン。今コミケ来てるんだ。夕方までには帰るから適当に遊んどいて」なんていうこともありました。ホントとんでもねぇヤツだ(笑)。

 というわけでいろんなゲームをやらせてもらいました。
 コトに近藤くんがお薦めだったのはファルコムのARPGで、『XANADO』『XANADO シナリオ2』『イース』『ロマンシア』などは解説つきで楽しませてもらいました。
 他にもプロテクト外しといういけない趣味(笑)も持っていて、「このゲームなんかプロテクト外すと『なんということだ。ここはコピーされたソフト空間だ。○○は5,980円でお得だというのに』とか言ってゲームが終わっちゃうんだぜ」とか市井の人には絶対に何の役にも立たないことを教えてくれたりもしました(笑)。

 一度、「なんだってそんなにソフトがあんの?」と聞いたことがあります。近藤くんはまた、ソフトだけではなくゲームセンターにも足繁く通っており、この当時は「『Out Run』に○万使った。でもまだ90秒切れない」とか普通の人には訳判んない言葉も口走ってました(笑)。
 その疑問に彼は笑って答えてくれました。
「定期代をネ」
「は?」
「いや、だからさ。今オレ、横浜の予備校に行ってんだー」
「うん」
「その定期代使ってんの」
「じゃあそこまでの電車賃どうすんだよ」
「定期をネ」
「はぁ??」
「学校までの定期は、同じ相鉄線の海老名までのがあんじゃん。だからさ、それを横浜でさっと見せるわけよ」
 ……をい。
 こんな彼ですから、いろんな意味で近藤くんとの出会いは勉強になりました。
「床が物で見えなくなっている部屋」というものに入ったのはこれが初めてでしたし、家人に全く知られないまま家に連れ込まれた(笑)のも初めてでした。で、その場で部屋の扉越しに「アンタちゃんと予備校行ってんの!?」と親子ゲンカが始まってしまい居場所がなくなってしまったのもいい経験でした(爆)。しかも、白砂の知り合いの女の子を連れて行った時にはその部屋が綺麗に片付き、お母さんがお菓子まで出してくれました。女は得なんだ世の中やっぱし(<違う)。

 結局、高校を卒業するとともに近藤くんとは音信不通になってしまいましたが、白砂のゲーム観は(正の意味でも逆の意味でも)彼によって作られたといっても過言ではありません。白砂のゲーマー魂はこの期間に生まれ、そして大きく育ちました。


 近藤くんに触発されて、白砂もいくつかゲームを買い込みました。特にSLGは近藤くん宅ではなかなかやりきれないので随分手を出しました。光栄の『信長の野望』『三国志』『青き狼と白き牝鹿』などから『大戦略』といったウォーゲームなどです。RPGにもハマり、ことに『Wizardry』はX1-turboIIのFDDディスクがぶち壊れる直前までプレイしていました。レベル1000まで行った、1023がなかなか……なんて話は懐かしいですね(笑)。

 ファミコンも出ていたんですが、岡部さんの影響もあって手は出していなかったので、白砂にとってゲームといえばイコールマイコンでした。ゲームセンターは近くになかったし……(泣)。
 しかし、今になって考えるとそれがかえってよかったんだと思います。決してDQやFFをけなすわけではありませんが、今この瞬間にどっちを取るかと訊かれても、おそらく白砂はWizやXANADOを取ると思います。それくらいハマってました。
 お蔭で大学入試はギリギリのところまで追い込まれてしまいましたが、幸せな時代でした。今ではそんな「体力」はありませんが、当時の自分に戻りたい気もします。